きっと好きな自分になれる

高学歴だけど他になにもない男の成長ブログ

自意識過剰な男

 

 

 

 

ここ3週間ブログにずっと成長を書いてきました。

もともと自分を客観視するためにはじめたブログで、結構自分というものがわかってきたと思います。

基本的には成長したい。そして、最近わかったのが、人から承認されたいという自分です。また、社会的に自分という役割がなんなのか、答えを探っているという自分もいることに気づきました。

 

今まで、ブログを書いてきて自分のことを自慢しようとか、頭よく見せようとか。そういう意識ではまったくしてませんでした。だから、素の自分を書いていたと思うし、ブログという特性上、普段よりもよく考えているというかもともと考える癖はあったんですけど、そういう特徴が出ていたと思います。

後は、毎日ひとつ成長ってことをテーマにしていたので、あまりネガティブな終わり方はせず、最後はこういう成長をしたよっていう、普段よりはポジティブだったかなー

ぐらいの、自分だったわけです。

 

 人に見られているという意識もなぜか芽生えず、ただただ自分の日記を成長を意識して書いたり、自分はどんなやつなのか書こうとしてきました。

自分が嫌いなはずなのに、全然恥ずかしくなく書くことができました。

 

今書かれている自分というのは、一人の時の自分です。誰もいない部屋でいるときのありのままの自分です。

 

そんな自分というものを見ていると、正直、嫌いではありません。自分でいうのもなんですが、魅力的ではないものの、成長しようとしているんだなとか、いろいろ考えているんだなとか客観的に見えてまあ、ちょっとは好きなくらいです。頭の合理性にも自分ではまったく問題がないと思っていて、まともな人間であると自分では思っています。

 

ちょっと気持ち悪くてごめんなさい。ただ、自分のことが嫌いではありません・

 

だから僕は一人が好きなのかもしれないなと思います。

 

 

 

今まで、ブログに書こうとしなかった、自分を書きたいと思います。

 

なぜ自分が嫌いなのかという点が最近わかりました。

 

 

自分の嫌いなところを書きます。

一人ではない時の自分です

自意識過剰なことです。かなりこじらせていると思います。

 

自分が自意識をこじらせたのは小学生のときです。

 

具体的に羅列していきます。

問題がわかった時に、手を挙げる自分が恥ずかしく感じる。自分のことを自慢しているんじゃないかって思われることが嫌だった。

そして、あまりに簡単すぎるのでそんな問題を解けたからといって当たり前だと思い、他の手を挙げている人を馬鹿にしていた。

その時、自分が仲良くしていたのが、クラスで人気のある子だった。その時だけ、周りに人が集まってきてくれるように感じ、馬鹿だと思った。

自分から遊ぼうと誘えなくなった。友達の家に集まる感じの雰囲気の時に、俺も行っていい?なんて絶対言えなかった。雰囲気で行く感じだけだしていた。

先生が馬鹿に感じ始めた。

周りの人が馬鹿に見え始めた。

クラブとかで部長とかになって仕切ろうとしている人を見るとこいつはでしゃばりで仕切りたがりと思うようになった。

そいつが実力では下の方だから、まじめなそんな自分が好きなんだなと思い始めた。

そのころから、クラスのきらきらしたやつと話すとすごく緊張するようになった。

女子から話しかけられても、自分から好意を示すのが怖くてできなかった。だまされているんじゃないかって考えるようになった。

そのころからまじめなやつを馬鹿にするようになった。ほめられたいだけのしょうもない奴と考えるようになった。

実力がない奴をしょうもない奴と思い始めた。

ここらへんから、帰り道の沈黙が苦痛で仕方なくなる。

ひとりでいることが嫌いではないが、周りから一人に見えることが本当に嫌だった。

 ここらへんで、地域で一番の高校に行こうと考える。

そこに行けばまわりはすごいやつばかりだと思い始める。

そこでは、まわりの人たちは今よりもすごいやつばかりで、その一員になれると考える

 

高校生になって

 

部活で頑張ろうとするやつを、ただのアピールと思い始めた。

そこらへんはあまり変わらない。

ここら辺から、自分が人に見られているんじゃないかと思い始めた。

すれ違う時に、自分のことをイケメンと思われているんじゃないかと思い始めた。

けど、やっぱりそんなことがあるわけないと思い、なんでそんなことを考えるんだろうと不思議でしかなかった。

周りが、とりあえずこの大学ってところをとりあえず志望大学にしようとしていたとき、自分はそれより一つ上の大学を書いた。

ただただ、自分が普通でいることが嫌だった。

ここらへんから、本当に友達ができなくなり始めた。

部活で仲がいい子とだけしゃべることができて、その他の時の自分はなんだかよくわからない存在だった。周りと自分が違うように感じ始めた。

このころから、周りで自分より勉強ができる人が表れ始め、そもそも頭が違うようだと感じ始めた。そして、勉強ができなくなった。

自分より優れている人に対して、どう接すればいいかわからなくなった。

 

 

大学生になって

 

好きなことをしていたはずなんだけど、人の目を意識した瞬間に全然楽しくなくなる。

勉強しかり、すべてのことが。

なぜか競いたくなり、負けていると楽しくなくなる。

周りで意識が高いことを言っているやつをみるのが苦痛で仕方がなくなる。

自分がまわりより相対的に劣っていることが具体的にわかるようになり、まわりで馬鹿にしてくるやつが表れて、本当にそいつに会うのが嫌になる。

そして、周りのすべてが自分より学歴で並んだため、どう接すればいいのかわからなくなった。

周りがすべてすごい奴に見え始める。

学年が下のやつが年下に見えなくなる。

そして、ほとんど無意識の上で人より頭がいいことを競争したくなっている自分がいる。頭がよく見えるために、考えているふりをしたりする。

そして、自分がようわからなくなる。

自分がすごく頭が悪いような気がし始める。人といるときの自分が自分でないように感じ始める。

自分は勉強だけしてきた馬鹿と思い始める。

 

一人でいるときの自分がとにかく好きになる。

ブログを書き始める。

以上

 

 

こんな感じです。

 

 

やっと、自分がどういう存在なのか見えてきました。

一人がとにかく好きで、集団の中でいるとすぐに疲れるし、自分が自分でないように感じるということがわかり始めました。

自分はまわりより優れてないと、人といると自分がわからなくなる人間なんです。

 

 

なんで、こんなに普通なのに、周りと違うと感じるのだろう。

なんで、一人の自分と、集団の中での自分はこんなに違うのだろう。

なんで、頭がふわっとして、自分が自分でなくなるのだろうと思っていました。

 

 

とにかく自意識過剰だったんですね。

 

 

 

 

 

認めると、不思議で仕方がありません。別に一人でいるときに、周りよりすぐれていることを自慢におもったり、そういう競争心を感じたことがないので、なんでこんなに自意識が過剰なのかわからないです。

 

 

ただ、とにかく、自分というのがふたつ存在することがわかりました。

 

 

よくある、自意識を小さくするっていう表現がよくわからないので、自分なりの考え方で対策を考えていきたいと思います。

 

他人といると自分が自分でなくなる感覚がある・

考えている自分という意識から見られる自分、見せる自分という意識に変わる。

自分という意識が、多くの人の一部という感覚になる

 

対策

 

一人の時の自意識が大きいとすると、集団の中の自分という意識を広げられるものと考えて、見せる見かけだけの自分から、集団のなかで成長できる自分、という風に考えて見る。

 

集団の中にいると自分を他人の目から見る感じになってしまい、自分の目線がわからなくなる。

 

 

対策

とにかく、一人の時とは違うものだと考えてみる

それが当たり前だと考える

 

 

 

 

今日の成長

外でのよくわからない自意識過剰な自分に気づくことができた。

 これからいろいろ人の目を気にしなような自分になれるように対策をとっていこうと思います