きっと好きな自分になれる

高学歴だけど他になにもない男の成長ブログ

わからないことは恐ろしい

後テストまで10日ほどだ。

昨日今日とやっとテスト勉強を始めた。

正直いつ始めてもわからないんじゃないか。先の見えなさから手さえなかなかつけられなかった。

ポジティブシンキングとかいってなかなか自分を追い詰めることができなかった。

勉強を始めると、わからないことが恐ろしいなと思う。

不安を掻き立てる。

明日は、企業説明会がある。散髪に行く予定だったが、なぜか空いていない。

この伸びた髪でいくのか… 

ネクタイの締め方さえわからない。シャツもアイロンかけていない。

なんだか鬱々としてて、よく寝ている。

ブログに逃げている。

 

不安だから、テレビをつけている。

環境は大事だと思う。不安にならない環境。

ひとりでも不安にならないって、なかなか難しいんだなと思う。

一言誰かと喋りながら勉強とか出来たら、楽なのになあ。

 

だから、ブログで独り言を喋っているのかな。

最近ずっと梅原さんの動画を見てる。

うらやましいな。

 

パチンコ依存症についてネットで調べて、なんとなく安心する。

少しだけわかる。

 

外から見ると、ばからしく思える。

やってる側も、うっすら気がついてるのだろう。   

 

やめたいと思う気持ちがわかる。

けど、罪悪感がやめさせてくれないのだろうと思う。

 

例えば、五万負けたとする。

その五万が大切なお金であるほど、やめられないのだなと思う。

テスト前に頑張ろうと思っても、遊んでしまう。

そしてとてつもなく罪悪感を覚える。

すると、勉強するよりも遊んでしまった時の方が罪悪感からの解放を感じるのだ。

本当に大事なことは、罪悪感を感じ過ぎないことなのだと思う。

当たり前だけれど、遊びの金でパチンコをしてもそこまでハマらないと思う。

罪悪感がスイッチなのだと思う。

 

罪悪感から解放されたいのだ。

罪悪感は意思の力を弱めてしまう。

 

気持ちいいのだと思う。罪悪感を埋めることが。

不思議だなとも思う。なぜ、パチンコをやめることによる罪悪感の薄まりと、パチンコをすることによる罪悪感の薄まりが、逆転してるのだろうと。

 

現実逃避

 

現実はクソなのかもしれない。

そうなった時に、どう向き合うのだろう。

向き合う現実がない人だっているんじゃないかなと思う。

実際の話、親もいなくて、友達もいなくて、不健康で、年もとって、そういう自分を想像してみたら、現実と向き合うことに何か意味があるだろうか?

 

本質は、現実逃避なのだと思う。

現実から逃げるために、大切なことは、刺激だ。

刺激の少ないことは、現実に引き戻してくれるだろう。

だから、罪悪感という刺激を求めているような気がする。

 

刺激の少ないことが健康なのだろうか。

罪悪感は不安を高めて、さらなる刺激を求める。

では、刺激を薄めていくとどうなるのだろう。

現実が見えてくるだろう。そこから、幸せになれるのだろうか。