雑念4
だんだんと気がつく。
幸せとは相対的であると。
与えられたものに対して自分がどう感じるかだと。
与えられる刺激に対しての反応は耐性がつく。
すると、今まで楽しかったことでも楽しくなくなる。
パチンコにハマれば、他の娯楽に対しての楽しみを感じられなくなる。
ふと振り返り人生を見た時に、つまらなく感じる。
だから、戻ってこれなくなる。
しかし、自分の感性を磨くことで今までつまらなかったことでも楽しく感じられるかもしれない。
今日、本当に死ぬほどつまらなかった勉強が少しだけ出来たのは、そういうことだと思う。
風呂に入って少しほっこり出来たし、テレビのニュースを見て少し興味を惹かれた。
現代は与えられる刺激が強すぎて、感じる力が弱まって、そのうち何に対しても楽しく無くなっていくのかもしれない。
今できることは、外からの刺激を小さくして、少しずつ退屈な人生から楽しさを感じられるようにする事。
出来れば独り立ちして、自分から楽しいことを生み出せるようになりたいが、テレビぐらいの娯楽は仕方ないなと思う。
結局、全てを断ち切って娯楽をなくせば感受性が高くなって幸せになるのか?
わからないが、今そういう極端な思考はやめて、とりあえず、依存を感じるレベルでの娯楽をやめようと思う。
成長する事で幸せを感じるとか、実際のところクソつまらないと思う。
ゲームで楽しいのは人に勝てるから。自分が周りより優れていると思えるから楽しい。負けていたらどんだけ上手くなっていても楽しくない。
実際自分のレベルはそんなものだ。
いや、もしかしたら成長する事が楽しい時期だってあったのかもしれない。
わからないが、結局幸せとはなんなのだろう。
上手くなってその上で勝てたら1番楽しいんじゃないかと思う。
成長を感じつつ、実際自分の成長を感じたことなどあるだろうか?
ない。
しかし、人を見ていると少しずつ変化してて、それを見て楽しいと感じたりしてるかもしれない。
自分の成長ではなく、他人の成長なら実感できるから、楽しいと感じたりするのかな。