きっと好きな自分になれる

高学歴だけど他になにもない男の成長ブログ

雑記

特にまとまりのある話じゃないんだけど、頭の中のごちゃごちゃを色々と書きたい気分。


今日は色々と頭がぐるぐるしてた。


何を書こうって思うと、なんだろう。

一つぽつんと考えたことが、自分って変わってるなってこと。


俺って変人やなー、とかそういうことじゃなくて、自分が悩んだりすることってどこにでも転がってる悩みじゃないから、言葉にして初めて不思議に感じるし、ブログに書きたいなって感じる。


自分の中での常識と、自分の中にある考え方の違いに気がついたりする時がある。その時に、自分の考え方をしっかり認識してないと忘れてしまう。



自分の中での常識っていうのは、しっかり言語化してあるから、忘れずらくて、そう思い込みがちなんだけど、本当は違うことを感じてるのかもしれないって話。


何が言いたいんだろう。


難しいな。



たぶん、おそらくなんだけど、思いついたそういう考え方っていうやつはしっかり言語化しておかないと忘れてしまうと思う。


冒頭に戻るけれど、自分が人と変わっているなって思ったのは、自分っていうやつの定まらなさ具合だと思う。


そうそれだ。


多くの人は普通に生きていれば普通のアイデンティティを兼ね備えていくのだと思う。

予想だけれど。



しかし、自分というやつは放っておくと自分がわからなくなってしまう。



忘れてしまう。



そこになんとなく気がついて不思議に感じてしまったっていう話し。



具体的な例というわけじゃないけど、もし自分がブログに今日感じたアイデンティティについての話を書かなかったとすると、僕は明日にはその話を忘れてしまうだろう。



そうやって、ぼくが感じたことは消えてしまうわけだ。



僕は、自分が感じたことは言語化しないと忘れてしまう。なくなってしまうという考え方を持ったわけだ。


そういう考え方は自分を構成する要素な訳だ。


しかしブログに書かなければ明日にはそんな考え方を持ったことすら忘れてしまうだろう。


常識的に考えて、自分という存在が言語化しやければわからなくなってしまうなんて事があるのだろうか?

そんなはずはない。

ブログや日記を書いてない人なんて世の中にいくらでもいる。

その人たちが自己を確立してないというはずがない。



という常識が自分の新しい考え方を塗りつぶしてしまう。そして忘れてしまうのだ。



なんだか、自分でも何を言っているのかわからなくなってきたので他の例を考えてみた。




自分の新しい考え方というのは、まるで三日坊主なのだ。


何かメリットを思いつき新しく朝散歩をしてみようと考えたとする。

大抵新しいことを始める時は、なんらかの決意でスタートするだろう。

しかし、いつのまにかやめてしまう。


朝散歩を始めようと考えたインスピレーションは、いつのまにか消え失せて、なくなってしまうわけだ。



それと同じように、自分の悩みもなにもかもすべてが時間と共に全て消え失せてしまう。


そういう風に感じた。



じゃあどうすればいいの?

とりあえず言語化


そんな感じ