きっと好きな自分になれる

高学歴だけど他になにもない男の成長ブログ

過去を振り返る(スタートラインを探す)

過去の思い出から自分のことを考えてみる。

 

一番になれなかったこと。

僕は一時期神童だったことがある。本当に学年一頭がよかったと思っていた時期があった。

そのころは、勉強で一番を目指していた。

今までで一番勉強をしていたのもそのころだったと思う。

そこで、近くの進学塾でこいつには勝てないもしくはぎりぎりだって子に勝ちたくて本当に勉強した。

その子には本当に本当に頑張ってぎりぎり勝てるかどうかだった。

死ぬほど頑張ってぎりぎり勝てるかどうかっていう自分の才能に気が付いたし、なんだか自分が特別じゃないってことにうすうす気が付いて、その塾はやめた。

逃げた。それが一つ目の挫折。

 

いじめ

僕はよくいじめられた。いじめたことだってある。

近所の力が強い人によくいじめられた。その時かばってくれた人はいない。

みんな、その人の前では助けてくれない。そいつがいなくなると、なんだか優しい言葉をくれたりするのに、そいつの前で助けてくれたことなんて一度もなかった。

昔は、頑張ってそいつらのことをいいやつだと思い込もうとしていた。

しかし、今考えると、一番嫌いなのはいじめてたやつより、助けてくれなかった人たちだ。

 

魅力ある人間

僕には昔とてもとても好きな人間がいた。男なんだけど、好きすぎて好きすぎてそいつのためならなんでもできた。

なにか理由があったわけでもないけれど、そいつは僕のことをよく遊びに誘ってくれた。

中学校とかにいくとある程度グループがわかれていて固定されているけれど、小学校ってほんとうに固まっているんだよね。

そのなかで、ある人間がすごくめだって人がそれを中心に群れる感じ。

ある意味そいつはだれでも友達を選べるわけ。で、なぜか自分を選んでくれたわけ。

その不思議さもあったけれど、僕は本当に自分に自信がなかったし、そいつの魅力が本当に本当にあこがれだった。

しかし、今でも覚えているのは、そいつと仲いいときだけ僕に近寄ってきた人間の多さ。それだけは覚えている。本当に優しいというか僕が上で周りが下っていう時期があった。それは覚えているし、しょうもないなって思ったことはよく覚えている。

そのころ頭にあったのは、魅力ある人間とその周りでうろつくしょうもない人間の二種類しかいないってことだ。

 

 

小さい頃の基地外な時期

僕は問題児だった。なにかにとてもとてもいらいらしていた。

あのころはきちがいだったし、人とよくケンカした。何度も何度も母は僕を怒ったし、それでも僕のいらいらが治らなかった時期がある。

だれでもなぐった。女子でもなぐった。上級生にもけんかをうった。

 

 

お笑い

僕にはそのセンスがひとつもなかった。だから、そのセンスがあるやつが死ぬほどうらやましかった。

 

女の子

昔しゃべったことのある女子のことを思い出すことがある。

そのなかでも、めちゃくちゃ笑ってくれたこのことをたまに思い出す。

それが今までの中で一番幸せな思い出だと思う。

 

 

 

僕の幼少期は、

どうしても自分を律することができなくて、死ぬほど母に怒られた記憶と

いじめられた記憶

友達ができなかった時

その後友達ができた

幸せだった

勉強で一番になろうとした時期

挫折

 

 

僕にとって勉強は逃げだった気がする。

本当は本当はあの幸せな時期をもう一度って思っている。

あの魅力ある人間になりたいっていう思いと、好きな人を笑かしてみたいという思い。

純粋な気持ちがある。

心の奥底には僕自身の魅力がなくて友達ができないことへの絶望

友達ができたときのうれしさ。

好きな女子を笑かせたときの幸せ

世の中にいる人間はほとんどがしょうもない人間だという思い。

勉強は逃げだ。

 

 

純粋な魅力ある人間へのあこがれ。恋にもにた渇望。

昔のことを思い出すと、人間的魅力へのあこがれを思い出す。

 

 

以上

今日の成長

なぜ勉強に集中できないのか考えてみると、スタートにはただの逃げだっていう気持ちがあるからだって気が付いた。挫折と特別になれないっていう気持ちが勉強にはついているから好きになれない。

 

人間的魅力へのあこがれを思い出した。

原点はだれにも好かれなかった自分がある。だから好かれたいと思うし、魅力ある人間にあこがれる、その一方で人を信頼していない気持ちを思い出した。ただのカーストで人に接する態度を変える人間や、困ったときに助けてくれないっていう気持ちがある。

好きな人に好かれたい。笑かせたい。

 

少しでいいから、毎日人間的に魅力的になりたい。

これからはそれを考えていこうと思う