マニュアル人間の嘆き
時たま、慣れないことをした時とかに、自分が本当に物分かりが悪いんだなってわかって絶望する日が来る。
例えば、グループが6人いて同時に教えられている時に自分がその中で一番何も理解してない。
何もわかってないと、明らかにわかる出来事が起こる。
絶望と羞恥心で死にたくなる。
物分かりが悪いし、細かいことが全然覚えられない。
普通の人にとって当たり前のことが僕にとっては細かいことになってしまう。
人の話を耳で聞いて、質問されると頭が真っ白になる。
一対一でみんなの前で説明されて、まるで公開処刑のように自分が理解力が不足していることが明らかになる時が来ると、死にたくなる。
僕が難しいと思って、けどなにがわからないのかそもそもわからない。
わかる人とは、なにか知識の時点で差があるぐらいの、ギャップを感じる。
先生が何か説明不足なんじゃないかって感じるほど理解できてないのに、周りはそれで理解できる。
そんな時がくる。
自分が、いやでいやで死にたくなる。
今までの勉強とはなんだったのだろう。
今までの自分とはなんなのだろう。
僕は本当に本当に、頭が悪い。
僕が覚えなくていいと思えるような難しいことが、当たり前のように必須事であったりする。
思えば、中学生時代から、人の話から理解することが絶望的に苦手だった。
部活動で、自主的に動くなんてことが本当に苦手だった。
一から十まですべてわかりやすく説明してくれないと、半分も理解できない。
なおさら、自分で動くなんて絶対できない。
マニュアルがないとなにをしたらいいのか全然わからない。
授業でも
理解できる人と理解できない人がいた。
理解できる人が相手だと、僕はまあまあいい成績を残せたと思う。
しかし、理解できない人が相手だと、僕は本当にひとりぼっちになってしまう。。
僕の理解は環境要因が多すぎる。先生の教え方であったりとか
自分個人の力が小さすぎる。キャパシティーがせますぎる。
質問力が低すぎる。
暗記重視すぎる。
わからないことを突破する力がよわすぎる。
全体像を把握する力が弱すぎる。
記憶力がよわすぎる。
どうにもこうにも、僕の思考法や勉強法がいままで間違っていたとしか思えない。
たしかに、今まで試験的にごまかすことはできていた。
それこそ、自分の力の150パーぐらいの成績を出せていたと思う。
ただそれは、限られた勉強という詰込み型の授業形態と、テストという要点がでやすい形式のおかげな気がする。
中長期で、広い範囲、そして精度の高い理解を求められると、とたんに破綻する。
短期でだれにでもわかることを高い精度なら150パーぐらいの力を出せるきがする。
要するにマニュアルに強いのだ。
しかし、記憶力が弱いし、少しでも理解ができないことが増えてしまうと、絶望的に効率が落ちる。
とにかく、今までのやり方だと、近い将来、さらなる絶望が待っている気がする。
質問力
と
十を聞いてせめて五がわかるような人間になりたい。
五がわからなくては、そこから十に持っていくことができない。
質問できる人はその時点で半分くらい理解できているのだと思う。
今のままだと10を聞いて1を知る
10を見て5を頭に詰め込むって感じだ。
見て理解することは比較的得意だけれど、耳で理解する力が弱すぎる。
どんな人の話を聞いても理解ができるような、理解力をつけたい。
だれか、そんな方法があれば教えてください。
以上
今日の成長
自分の頭の悪さを嘆いた。すこしずつでいい、変えていきたい。