母とは
昨日はパワーがあった。それは、一時的なものなのかもしれない。
母と話したこと、その言葉になんかうれしくて、救われた気がした。
人生、どこからでもやりなおしは効く、大学辞めたって人生終わらない。
そんな言葉だったように思う。
僕はあまり記憶がよくなくて、完全に覚えることができなかった。
全て、言われたことは覚えたかった。
ただ、そのもし僕が大学やめたらとか、そういうことで人生が自分の価値が終わると考えているなら違うということに対して、
いや、
本当にうれしかったのは、僕が大学に行きたいと思ったから金を出してる、本当に行きたくないのなら今すぐ辞めていい。
という言葉だったような気がする。
僕は心のうちに、親のために、誰かのために大学に行っているというなんだかおかしな考え方を持っていて、苦しくなると親がいなけりゃ逃げ出せるのにとか、自分の人生なのに自分で生きてないような気がした。
親は、僕が生きたいようにお金を出していてくれているという、当たり前の、しかし僕が常に思い違いをしている部分に、答えをくれて嬉しかった。
僕にとって、母親は僕のことを考えてくれる存在であった。
それをわかりつつも、わからない自分がいた。
親が大切だから、勉強を頑張ってきた、なのになんだか人生を親のために生きているような、だから親に恨みというかなんだか心の中底から信用できないというか、自分でもなんでこんな状態にはなったのかはわからないが、自分でもよくわからない状態にはなってしまった。
そう、言葉にして初めて自分の考え方のおかしさ、苦しさに気がついた。
人の顔を見て生きているという感覚、ある意味世間体というような感覚を親に対しても持っていた。だから、ぼくは常に孤独だった。親さえも信用できないのだ。他の人を信用できなかった。
本当は、違うのかもしれない。
いや、違うのだ。おそらく。
昨日の母の言葉に偽りはなかったように思う。
だから、うれしくて、けど、僕はいつも、それを忘れてしまう。
今までも爆発しそうになると、母に対してそういう気持ちをぶつけたことがある。
その度に、そういうことを言われていたことを思い出した。
本心からだと、そう思いたい。
僕が大学やめたら、僕は自慢の子供じゃなくなるんじゃないだろうか。
そういう、おそれが自分の心の底には常にあって、人生が怖かった。
僕は今泣きながらブログを書いている。
情緒不安定なのかもしれない。
常に自分の中にあったおそれは、親から、いや母からの評価であったのだと思う。
信じることが出来たのだ。
昨日は、母親の言葉から僕のことを、僕がいい大学に行っているから大切ではない、ただただ大切に思ってくれているのだと。
忘れたくない。
その言葉を。
いつも、不安になってしまう。
言葉として、確かめることができなかった。
これからも、母にそんな事を口に出して聞くなんて恥ずかしくて、できないだろう。
だから、ブログに書いて覚えておこうと思う。
ただ、心の底から信じられないのが、心底悲しい。
今までの長い思い込みから、分かっているつもりでも、不安になると信じられなくなる。
常に心の中にあったのは、いや、自分にとって確かめたかったのは、一度自分が破綻して、世間的にはダメなやつになったとしても親は僕のことを大切に思ってくれるのか、そんなことだったのだと思う。
グダグタと書いて来たが、自分でも自分がそんなことを考えているのだと言葉にして初めて気がつくことができた。
母親に大切に思われたい気持ち。
大切に思われていると思いつつ、本心から信用できない気持ち。
心の底から信じたい。
自分でもそんなことを常に考えて生きてきたのだとは思わなかった。
しかし、ある意味仕方ない部分もあるのかもしれない。
それほど、母は昔教育熱心だったのだ。
今、大学生になって少しずつ母の本心を聞こうと、わざと反抗しているようなそんな気もする。
自分は、狭い世界で生きてきたと思う。
根本としては、親を信じられなかったこと。
自分を信じられなかったこと。
だから、他人と関わることができなかった。
まずは、母親を心の底から信じて見ようと思う。
それが、スタートなのだと思う。
今までは、世間体が自分を信じることができるスタートラインだったのだ。
それさえあれば、確実に親は僕のことを安心してみてくれた。
自分に自信がないから、そのラインが崩れると色々なものが崩れる気がしたのだ。
しかし、僕がただただ恐れてきたのは母からの気持ちそれだけだったのだ。
それが、崩れないと信用できた時、僕は何が怖いのだろうか。
怖いものなんて何も無いと思う。
それって、人生の中で一番大切なものなんじゃ無いかと思う。
とにかく、信じるのだ。
それが。スタートなのだと思う。