人間として生きたい
人間としての幸せを感じたい。
自分を偽り、自分自身でも何が何だかわからず、誰かに喋る自分の言葉がない。
自分の頭がなかなか働かず、少し前のことも思い出せない。気がつけば年月が経つ。
常に、自分をだまし、何かに集中して時間を過ごし、気がつけば、また変わらない自分に出会う。
なんのために生きているのか、誰のために生きているのかがわからない。
自分のために生きているという感覚がない。
死にたくても、親のことを考えると死ねない。
そうではなく、自分のことを考えて行きたい。
親に大事にされてると感じつつ、自分の悩みを打ち解けられない。
誰にも、自分の悩みを打ち解けられない。
親が考える、なって欲しいであろう自分と、今の自分にギャップを感じ、本当の自分を誰も知らないという孤独。
僕は、自分のことを諦めている。
誰かに勝ちたいと今更思わないし、金を稼ぎたいと会う欲求があるわけではない。
ただ、もし自分のことを誰かに知ってもらえなくて、こらからもこのまま一人だとしても、自分は自分として、偽らずに生きたい。
今の、挫折を感じつつ、人とは違う自分を感じつつ、孤独を感じつつ、それを忘れて、誰とも関わらないことで本当の自分を偽る生き方が嫌だ。
ちゃんと、自分の力でお金を稼ぎ、自分の使いたいように時間を使い、死にたい。
といいつつも、僕は今の生き方から逃れる方法を知らない。
いつか、誰からも期待されなくなり、本当の自分を偽る必要がないと思えたら、僕はかわれるのだろうか。
僕は、親や周りの人がいなくなって欲しいと思うことがある。不慮の事故で、どうしようもなく人生を諦めることができたらなと思う。
そしたら、本当の自分に出会えるのではないか、不幸であろうとも、自分のために生きられるのではないかと思う。
自分の人生なのに、自分のものとして生きられない感覚、理想ではない仮の理想と現実のギャップにより、日々自分をだます生活。自意識過剰といえばそうなのかもしれない。
僕は自意識過剰によって、人として生きられないのだろうか?
人として生きたい