条件なしの自愛について
名言でよくあるのは、強さとは弱さを認めることとか書いてあることありますよね。
心の不安な人に良く、そのままの自分を愛すことが大切なんていいがちです。
これって言い換えると、そのままの自分を愛する=「条件なしで自愛する」
ってことなんですよね。今回のテーマはそれです。
しかしそれを聞いて
そんなん無理や。そのままの自分愛せたらすごいって思うわけです。
だって自分ですよ。友達もいない、彼女もいない。
唯一の自信は、勉強だけ。これだけは自分が優れているっていう証明だ。
なんて昔の自分は考えていたわけです。
アダルトチルドレンで登場したこのサイト。有能である
ほんとに一回上を読んでほしいのだが、内容はというと
自愛とは、自分にOKを出すことである。
大事なポイントは[条件なし]ということ
勉強を頑張った時分だから、彼に愛されているから、金があるから
そんな自分だからOKそんな愛し方はよくないよ。
これ、ひびきますか?
僕には響きませんでした。自分自身全く認められない時期が大学でありました。
勉強が全然ついていけなくて、こんなんじゃ自分を認めてあげられない。
なんて考えていた時期です。不安で不安で仕方がなかった。
そんな時期にこれを読んで響きますか?きれいごとに聞こえます。
言葉にすると、勉強が自分のアイデンティティーなんていうのは、すごくばからしいし、大学名に誇りを感じるなんてダサいってことはわかっています。
問題は自分がそういうことに執着していることを認めてあげることができてなかったことなんです。
なんで認めてあげられないのか、説明はできないです。原理はわかりません。
自分のアイデンティティーを疑うってことはそれ自体がいびつで間違っていたとしても難しいというわけですし、自分ではそのいびつさにきずきにくいってことですかね。
自愛のポイント
一つ、僕の場合は親から条件付きで愛されていると勘違いしていた部分がある、それによって自分でも自分をその条件付きで愛するようになってしまったわけである。これが勘違いであると気づいた出来事によって自分を条件付きで愛さなくていいんだって思い始めた。きっかけに対してたまたま処置できたため、条件なしの自愛の大切さに気付いた。
二つ目、では自愛とはどうすればできるのか。
それを認めたうえで、つまり条件付きで自愛することが間違いって認めてあげたうえでどうしたら自分を愛せるのか。
ここからが、問題ではある。
自分とにかく人に良く見られたいのである。
これが原因で人見知りにつながっていることも自覚している。
わかってはいるんだけど、例えばひとつの失敗するだけで、今自分はあほっぽくみられたんじゃないか。
もしくは、あいつ仕事できねーななんて言われてるんじゃないかなんて考えたり、
逆に自分のことをイケメンだなって思ってくれてるんじゃって想像(妄想)したり、
いい大学通ってることすげーって思ってくれてるんじゃないかって勝手にかんがえたり。
とにかく周りからの評価を気にしてしまう。
人からこんな評価を受けたい。っていう自分の中でのなんだろ、理想が高いんですけど
それに対する自己評価がとても低いので、とにかく自分を見せるのが嫌いで人見知りしたり内にこもってしまうわけです。
今回の成長
とにかく、僕はまわりからよく思われたい。
具体的に言うとかっこいいと思われたい、面白いと思われたい、頭いいと思われたい、いい人だと思われたい
が、自分に対して全く自信がない。自己評価が低い。
だから人見知りをしてしまう。
ので、結果的に勉強に執着して、勉強によって自分を認めようとしてきた。
それが条件つき自己愛というもので、条件つき自己愛では本当の意味での自己愛ではない。
その結果、自己評価はあがらなかった。しかし、ハードルだけが自分の中で上がってしまし、どんどん自分と理想の自分との差が広がった。
大切なのはどんな自分でも愛することが大切なんだ。
っていう風に考えることができた。
が、その方法についてはまだわかっていない。いまはただ毎日自分について考えたり、成長できたなってことを探すことを続けていきたい
以上