合理的な理由があれば人を殺していいのか?(続き)
昨日エントリーした記事の続きです。
紹介もされて、意見も集まるかなーと思っていたのですが、想像していたよりも集まりませんでしたねー
こういう問題って完全な匿名性がないと難しいのかもしれませんね。と思いました。
僕は、人生をゲームに例えて、勝ちを定義するなら「幸せ」としました。
個人的合理性とは、そのゲームに勝つために努力する考え方のような問題ですね
基本的には、このゲームに勝つことが目的ですよね?
もしかしたら、このゲームにはルールがあるかもしれない。
タブーですね。
けど、結局それに従うかどうかは個人の自由ですよね。
いわゆるサイコパスと呼ばれる人たちは、個人的合理性に従い、社会のタブーを簡単に犯すそうです。
人を殺すことに合理性があれば、自分の利益になれば、ばれなければ、簡単に人を殺してしまう。
考えてみてください。
個人的な合理性というのを極めていけば、人を殺してもいいという合理性に行きつくと思います。
人生一度きり、やり直しは聞かないし、結局自分の幸せが一番大切なわけです。
これに対して合理的に反論できますか??
というのが、今回の問題です。
僕個人の意見としては、賛成はできないけれど、反論できないと思ったので。
結局合理性なんてものは極めていくと反論できず、感情でしか反論できないのではないかと思いました。