合理的な理由があれば人を殺していいのか
なんてタイトルをつけようと思ったのは、さっきまで書いていた記事の中で、ちょっとした具体例として使おうと思ったんだけど、実は頭の中でこういう結果になるだろうと予想して利用していたため、実際どうなるかについてわからないので、誰かからの意見が欲しいからである。
ブログをしていて、今までただの日記帳として使っていただけなのだが、だんだんこういう風に他者とのかかわりあいのツールとして使えたらいいなと思っている。
とにかく、目的はこのことについて、色々な人からの意見を募りたいのである。
しかし、自分のブログはだれも見ていないだろう。
じゃあ、どうするかというと、人気あるブログを利用すればいいと思った。
それがこちらである
なぜそういう風に思ったのかというと
このタイトルというのは合理性とはなにかというただの例であり、別に他の例でもよかったわけなんだけど、はじまりはそもそも僕が上のブログの記事を読んでいて、この問題の、浅い感じの問題について書いてあり歯がゆく思ったからである。
どうせならこの問題について書いてほしかった。
以上で、この問題について意見を集えたらいいなと思う。
とりあえず、上のブログに、コメントを残してきたのだが、気づいてもらえただろうか。
合理的理由とはなんだ?
そこも含めてこんな理由があれば人を殺していいという理由があればコメントくださいね。
今日の成長
ブログから自分の意見を発信しようとしたこと。
追記
上のブログで紹介してもらえました。
ありがとうございます。うれしかったです
といっても意見はまだないです。
こういう問題は難しいのかなとも思いますね。
でも
こういう哲学的なのっておもしろいですよね。いろいろあって
合理的理由があれば人殺していいのか?
という問題としては、おそらく多くの人がいいというでしょう。
これは間違いないです。
日本の死刑制度を考えればそういう風にとらえていいし、国家がそれを保証しています。
で、なすねむさんが言ったように、合理性とは何かという問題ですが、そもそもなにかなんて風に話を広げてもらってもいいし、
個人的な合理性、社会的な合理性のどちらの立場をとってもらっても面白いかなと思います。
個人的な合理性とは
例えば
人生をゲームとするならば、勝ちを定義してみようとします。
それは幸せになることでしょう。
そのために合理的に考えることが個人的な合理性です。
その個人的な合理性に基づいた場合、人を殺す権利に対して反論できますか?
人生一度きり、人を殺しても自分が幸せならばいいではないか
そんな合理性に対して反論できますか?
個人的な合理性ならばそんな話になります
その話に対して社会的な合理性において意見するならば
社会的に邪魔なものは処刑してよい。
日本の憲法と同じですね
どうでしょうか?
いろんな意見がもらえるとうれしいです。お願いします。
t